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映画「小学校」を観ました

『小学校 ~それは小さな社会~』を観に、年の瀬に映画館へ行ってきました。(あっという間に一ヶ月!)

 

ありのままを見せ、感じさせ、考えさせてくれた。

というのが、見終わって一番の感想です。

 

 

ご覧になった方もいらっしゃるかと思いますが、ある小学校の1年間、主に1年生と6年生の成長を追った作品です。

撮影を受け入れた学校のチャレンジ精神に感服しました!新型コロナ対応がまだ落ち着かない時期、通常の学校運営に加え、教師ひとりひとりの教育観もクローズアップされるという重圧を背負うのですから

製作チームは、東京都の公立小学校にて150日間、700時間にもわたる撮影を行ったそうです。1年生に至っては、家庭での入学準備段階から撮影されています。

 

 

子ども達の個性はスクリーン越しにも弾けていて、

「こうやって、小さな社会が作られていくのだな」と感慨深いものがありました。

1年生は本当に可愛らしく、ついこの前まで保育園・幼稚園生だった小さな体で物事を受け止め挑戦する様子には、ほろりとさせられます。

一方、6年生の成熟を感じさせる言葉、集団と個に悩み、苦手を乗り越えようとする姿には、思春期の到来を感じます。

自分自身の子ども時代に重ねたり、その時は知らなかった 大人の思いに気づいたり

 

そして、指導に心を砕く先生達の苦心にまで迫っていたのが、興味深いことでした。

教員対象の研修シーンが写されるのですが、講師からの提起が印象的でした。(文言やニュアンスが少し異なるかもしれませんが、下のような趣旨です。

『連帯感や一体感を育む日本の教育理念は、表裏一体だ。協調性が高まる反面、連帯責任の名の下に特定の子を非難する風潮を生んでしまう可能性がある。それを教師は自覚していないといけない。』

 

映画には賛否あるでしょうし、私も若干抵抗感を覚えた場面もあります。それでも、先生達は何と多くの課題を抱えながら日々の指導にあたっていることか!と、胸がいっぱいになります。

 

 

 

 

我が家の1年生は、5月からの登校渋り期を 10月に脱出しました。

動乱の日々が去りしばらく経った日の夕食中、彼はこう言ったのです。

「ママ、俺わかったんだ。小学校は思っていたほど楽しくないって。先生が決めることも多いって。もう大丈夫だから。」

 

ーやりたいのか、どうやるのかー 決めるまでにものすごく時間のかかる子です。保育園の年長組は、先生が園児と相談してクラスを作っている印象でした。支援や介助の必要な子も含め、集団ペース&個のペースが両方尊重されていました。そんな園生活は創造性に満ちていたのでしょうね。

一転、小学校では迷ったり考えたりする時間が足りず、「今日もできなかった」が増えていたのかもしれません。

 

夏休みまでの苦悩(母の)を Instagramに綴ったことがあります。

遅刻したり、早退したり担任はもちろん、図らずもたくさんの先生と顔見知りになってしまいました。

泣くかもしれない、授業が始まりそうだから先生困るだろうな~と、真夏に次の休み時間まで、親子で学校の周りを歩いたことも

迷惑をかけてしまう(+_+)という後ろめたさから、子の葛藤を受け止めきれなかったことを反省しています。

正解が全くわからない中、ついには「カウンセリングはお母さんも利用できるから」と勧められ

はい、疲れていました(-)**

 

今では楽しい時間も増えたようですし、これからは自分で決めたり責任もったりすることが増えるんだぞ!と教えてあげたいくらいですが、

抵抗戦線も幕をおろしたのか~。右へ倣え感も否めない教育を受け入れたのか~。と、一抹の寂しさを感じたのも正直なところです。



子ども達にとって【学校】って何だろう。

学校が全て!登校できる子が良し!とは思いません。でも、せっかく毎日通うのならば 良い時間を過ごしてきてほしい。

今後も悩むことはあるでしょうが、先生とコミュニケーションをとりながら 親としてできる手助けをしていこう。

と、映画を観ながら 再び考えることができました。

 

 

レッスンで出会うのは、多少の個別配慮・支援の必要なお子さん達です。学級参加につまずきを抱えたお子さんには、学校訪問したこともあります。

先生はもちろん熱心な方ばかりですが、様々な立場の方と 発達障害特性の理解を共有することの難しさを痛感するのも現実です。

家庭や学校・園生活に、その先の彼らの将来につながっていくレッスンをしたい。その中で、保護者の方はもちろん、先生方の努力に できるだけ思いを馳せられるように!と、気の引き締まる思いで3学期がスタートしています。